2013/09/20

経験も学歴も金もない20代女子が、フリーランスとして生きていけた理由<2、そもそも編>

■そもそもは、持続力と協調性がない自分を自覚することから始まった


これ、私の左腕です。夏服じゃ隠せない場所に15年来のタトゥが入ってるし、年甲斐もなく、お気に入りのアクセサリーをジャラジャラ付けているし、と、好き勝手やっています。ファッションが好きなうえ、ブログやソーシャルメディアも一通り手を付けているくらいなので、自己表現することはライフワークの一つです。

そうすると、会社でも所属でも、既存のルールに縛られることに、尾崎豊の[十五の夜]ばりに引っ掛かりを感じるわけです。こらえ性がないとか、協調性がないとか、女子っぽい連れ立ってトイレみたいなことができないとか、そんな具合です。

子どもの頃からそう自覚していたので、普通の働き方は無理っぽいぞ、と覚悟していました。だからフリーランスと言う生き方を知った時、自分の為にある言葉かと錯覚したほど。
”ピタッ”とハマった気がしたんです。

フリーの身とは、全て自分の判断で決まるし、自分の考えだけで生きていくということ。それは、まさしくプレッシャーと自由のはざまにあるライフスタイル。だからこそ、何事も続けてこられなかった飽き性の私が続けられている<書くこと><人が集う場をメイクすること>、この2つを仕事にできるのでは、と思ったんです。

だから就職して毎月決まったお給料をいただいて、という生活とははなから無縁でした。遠ざけていたというより、そういう暮らしを送る自分が想像できなかった、というのもあります。自分の食いブチは腕一本で稼いだるで! みたいな根拠のない思い込みがありました。

ちなみにB型です。



■ キャリアも知識も貯金もない、でも面白いことを仕事にしたいぞ!


もう一度おさらいすると、全ては、学生時代にそう思ったことがきっかけでした。

世間はちょうど、小沢健二さんやカヒミ・カリィさんなどをアイコンとする渋谷系カルチャーに沸いていた時代で、ストリートとしては、ジャパニーズヒップホップことJ-RAP真っ只中。
女子高生ムーヴメントや読者モデル文化も芽吹いた頃でした。

そのころの私は、寝ても覚めてもブラックミュージック一辺倒。ミックステープを買いあさり、クラブ文化に親しむべく、学生だてらに渋谷や西麻布のクラブに一生懸命馴染もうと努力していたころ。(このころは今みたいに入場時に顔写真付きのIDを提示、とか、クラブ文化断絶! みたいな風潮とか、なかったんですよ)

田舎者らしくTokyoに憧れ、Shibuyaに焦がれ…。NYやLAから生まれる音楽に酔いしれ、Bボーイカルチャーをコミックに落とし込む漫画家、井上三太氏の代表作「TOKYO TRIBE」にのめり込んでいました。




ブロンクスの男の子たちに近づきたくて、ゴミ同然の無駄に大きなラジカセをジャンク置き場から拾ってきては出来ないなりに修理したものです。テープをかけたり、ローカルなラッパーがパーソナリティを務めるラジオ番組を聴いたりしていました。紙袋に入れた瓶ビールをラッパ飲みするスタイルに憧れたり、シナモンの切れ端を加えるポーズにしびれたりもしました。w

もっと関わりたくて、ローカルなクラブでお手伝いのアルバイトをしたり、学校に行かず、1日中音楽を聴いていたり、音楽雑誌を読み漁ったり… 高校生にして、完全なる音楽ニートでした。

寝ても覚めてもクラブと音楽、そんな暮らしを送る中、やがて、物足りない思いに駆られます。
それは、


「クラブって楽しいけど」
「面白い音楽イベントにいったことがないかも」
「なら自分でやっちゃえばいいのかな?」
「うん、イベントやろう!」


この時の閃き(思いつき)が、今の私のルーツです。




<3、ノリだけじゃだめだ編>に続きます。



<関連記事>
経験も学歴も金もない20代女子が、フリーランスとして生きていけた理由<1、プロフィール編>



nino sato.