2013/09/13

なぜFacebookで「格言」がバズっちゃうのか。**したがりの素直な人が増えている、という結論。

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■読み手が感動したがると、格言がバズるよ


ちまたのFacebookページでは、“いいね!”が稼げる惹きつけ投稿は「旅行の景色」「動物・赤ちゃん」「おもしろ画像」そして「格言」だそうで、なるほど確かに、導線にそれらを用いる投稿者は多いものです。

読み手にとっては為になったと思いたい、頷きたい、頑張りたい心にライターみたいに着火される気持ち良さが、拡散する背景にはあるだろう。だけどそれに煽られていいのは“プチやる気”だけであって、自分の人生をひっくり返される本気のシフトチェンジではないのではないでしょうか。

意欲を保つ手段が、自分ではなく、第三者であるように思えるんです。だから簡単にやる気を注入してくれるお手軽格言が広まりやすい、と。すなわちみんな、誰かに感動をもらいたがってるんじゃないのかな。


■でもそれって、他人からカンタンにもらっていいもの?


けれど自分主導ではない感動なんて、他人の気分次第で簡単にぺちゃんこです。ぶれない自分軸を持つこと、人のセリフごときで揺るがないソウルを持つこと、結局、目的への道しるべはそれだけ。

とは言え“いいね!”の数値は民主社会の総意だからこそ、心を打つ格言だってちゃんとある。だけどちょっと斜めから見てみよう。 気軽な“いいね!”で、痛くないようにお尻を叩かれる不徹底なモチベーションが満足するし、本当の自分に生まれ変わりました! という蝶化ファンタジーへの憧れも満たされる。

ワンクリック・コミュニケーションのキーワードは「なんとなく」。
イージーに夢を見させてくれる、ということね。


■格言って言葉の格調高さを、きちんとキープしておきたいかも


だけど本来ならば格言とは、悟りの言葉であるべき! と、古典文学Loverのこだわり脳は思っちゃうのです。

偉人たちのたゆまぬ努力、人生をかけた求道など、今となっては死語であろうスポ根魂でフィルタリングした先にあるから「じーん」とする。その血や涙をぶっちぎって、コンビニ感覚で消費したくないと考えるのは… やっぱり固すぎるでしょうか。


量産型「格言」投稿になびかないことが賢さの表れではないけれど(ものによっては踊らされてもいいものもあるはず、可愛い子どもの癒しフォトとか!)、本当に良質な情報を見定める場になることは間違いありません。
猫も杓子も隣の拡散メソッドを参考にしがちな昨今だからこそ、自分以外の “いいね!”に心乱されない姿勢も格好良いと思うのです。うふ。






※ 某所に寄稿したものをこちらで加筆修正して公開しました。


nino sato.